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首里散歩 Vol.469 新しい時間

ある時、仕事仲間から、思いがけないランチの誘いがあった。
美味しい飲茶のお店があるというので、前のめりに「行きたいです!」と答えて、お店の名前も聞かずに、彼女の車の後をついて行った。

懐かしい感じのする落ち着いた店内で、運ばれてきた焼売や小籠包や魯肉飯の優しい味に心がほぐれる。
彼女と二人きりでじっくり話すのはこれが初めてだったが、前から知っていた気がするほど共通の体験や感覚が次々と見つかり、話は尽きない。

会話が盛り上がっている最中に驚いたのは、食事と一緒に出てきた中国茶の美味しさだった。
以前、親友に連れて行ってもらった本格的なカフェで飲んだような味わいで、茶器は扱いやすいプラスチック製ながらも、中国茶本来の作法と役割をきちんと守っている。「本場の定食屋はこんな感じなのかもしれないな」と感心しながら、茶葉を覗き込んだり茶器を眺めたりしているうちに、遠い昔の記憶が蘇ってきた。

——私は、小学校の頃、香港に住んでいたのだ。

当時はプーアール茶が毎日の食卓にあったが、溢れたお茶を下に落とすような茶器を使った記憶はなかった。それでも、中国の工芸品の並ぶデパート「國貨公司」で、お湯を注ぐと固められた茶葉がふわりと開く高級な工芸茶や、吸い込まれるように美しい青磁の茶器を眺めていた記憶が、タイムワープのように自分に戻ってきたような感じがした。

思い返せば、私の中で、ここ最近、中国茶がブームになっている。

始まりは去年、親友に誘われて訪れた中国茶の専門店だった。お茶を楽しむことに特化したそのカフェは、お茶以外のメニューはほとんどなく、滞在時間も「3〜4時間」を推奨する特別な空間だった。

近況を語り尽くしたあとも、好みの茶器やインテリアについてゆったり語り合う。
その時、「実は昔から中国茶にハマっていたの」と聞いてハッとした。香港に住んでいたのに、これまでそれほど興味を持っていなかったことをもったいなく思い、私も、今だからこそ感じられる中国茶の魅力を意識するようになったのだ。

その時の、時間をかけて感じた、懐かしさと美味しさをどうしても家族に伝えたくて、お店で柚子の中に茶葉を詰めた珍しいお茶をいくつか買い求めた。

香港から持ち帰ったまま眠っていた茶器を引っ張り出し、立ちのぼる柚子の香りに包まれながら、家族にお茶を振る舞った。すると、まだ緑茶は飲めない息子が「おいしい!」と何度もお代わりをして、煎じる度に味わいが変化するので、次々と進んでいくのが何とも楽しくて、自分の子どもの頃に感じた香港の話もしながら、じっくり過ごす時間が生まれた。
それ以来、わが家では、誰かしらが「あれ飲みたいね!」と言い出しては中国茶を淹れて、何時間も語り合うのが恒例となった。

それからというもの、自家焙煎のコーヒーを求めて初めて訪れたカフェで中国茶が置いてあり、それがまたとても美味しかったりするという偶然の出会いも何度かあり、沖縄にはもともと多いのかもしれないが、急に中国茶が私の目の前に現れるようになった。

思い出の中に忘れかけていた中国茶だったが、今の私の生活に、「時間をかけて中国茶を楽しむ」という、新しい時間が生まれた。

ライター
首里石鹸 白鳥恵子